この山も我が山の師である吉川氏の呟きから始まった。いつだったか吉川氏が「新潟には守門岳、浅草岳といういい山があるんですよ」と呟いたことがある。浅草というと樋口一葉や永井荷風が連想されて山としてのイメージは結ばなかったが、守門という名の響きは私を捉えた。私の好きな白毛門と響きが通い合ったからかもしれない。地図を見て栃尾という山奥のさらに奥だということも私の心を誘った。それから何年経ったか。
1985.08.29
本庄=湯沢(昼食)=長岡=栃尾=栃堀=避難小屋(幕営)
栃堀、急坂の道の両側に民家が続く。栃尾は錦鯉の養殖産地。不思議な土地だ。林道をたどって終点にテントを張る。林の中に開けた草地だ。
1985.08.30
天場07:00-保久礼08:00/30-キビタキ小屋-大岳11:00-青雲岳-守門岳(1537m)12:15/40-青雲岳(昼食)12:45/13:30-大岳14:10/40-天狗岩屋-保久礼15:30/16:00-天場16:45/17:15=栃堀=小千谷=湯沢
出発して1時間。保久礼に着く。ホッキュウレなんて読める人はいるのか。立派な小屋もある。さらに進むとキビタキ小屋。私の父岩田五郎は子供のころから庭にやってくるキビタキが好きだったと語ったことがある。心惹かれる小屋だが、のんびり休んでいる時間はない。
出発して4時間。ようやく四方を見渡せる大岳に着く。大岳から見た青雲・守門頂上への道は断崖の上。スケッチにおさめる。ガイドブックによれば、大岳、青雲、守門の東側はは爆裂火口だったとある。この絶壁はそれだったのかと見ると自然の営みのスケールの大きさに魅せられる。その上がこれから辿る、緩やかに伸びるルートだ。先端に守門岳が頭を持ち上げている。あそこまで行く。
まず網張まで130mくだる。そして最後の登りに向かう。なだらかな登りだ。手前のピークをアオグモとよぶ。これもいい名だ。そしていよいよ守門頂上へ。ついた途端目の下に見える田子倉ダムが目に飛び込んできた。振り返れば越後三山も。周囲360度山々が重なるが、まだなんという山か分からぬ。それでも辿ってきた道の終点に立って来し方を眺めるというのは至福の時間だった。広々とした青雲にまで戻ってビールを飲み昼食のラーメンを作りコーヒーを飲む。下りは元来た道だ。安心感があり、ゆっくりと下った。