奥秩父縦走というとコースが二つに分かれる。ひとつは金峰から甲武信へという東西のコース、もうひとつが雲取から十文字峠までの南北のコースである。前者はさらに甲武信から下山するのに北の十文字峠に向かうコースと雁坂峠に向かうコースとに分かれる。もうひとつ南の雲取三峰山へというコースもある。今回は金峰山から甲武信岳へ、さらに十文字峠へというコースを歩いた。
雪深い奥秩父でコースを誤って稜線からはずれると、胸までのラッセルで登り返さなければならない。ルートファインデイングの正確さが求められる箇所がいくつかある。さらに、瑞牆山にも寄ったので、金峰山まで3日がかりだった。長い山行となった。
1973.03.25
熊谷09:18=新宿=⁽アルプス3号)=韮崎13:37/14:30=増冨15:10/25ー桂平16:10/30ー営林署小屋(泊)
快晴。増冨から入る人は少ない。ゆっくりと進む。
1973.03.26
営林署小屋06:10ー金山峠07:00/15ー富士見小屋08:00/25ー瑞牆山頂09:55/10:25ー富士見小屋(昼食)11:50/12:30ー大日小屋13:25(泊)
今日も快晴。富士見小屋まで雪なし。ここからアイゼン着装。
1973.03.27
大日小屋05:45ー大日岩上06:45/55ー稜線・千代の吹上07:35/55ー金峰山頂08:25/45ーコル09:25/35ー朝日岳⁽昼食)10:05/40ー大弛小屋11:40(泊)
大日岩を下に見て稜線に出る。千代の吹上の名の通り快晴で風が冷たい。大きな岩の上でヤッケを出させて着せる。写真は千代の吹上にて。すぐ後ろに八ヶ岳。蓼科から赤岳まで全部見える。私はタバコを吸っている。生徒には気の毒な事をした。金峰五丈岩の前で20分の休憩。八ヶ岳や鳳凰、南アルプスを指呼するが部員たちはあまり興味を示さず。自分が登った山でなければ愛着が湧かないのであろう。ここまで風が強く雪は飛ばされてあまり積もっていなかった。ここから樹林帯に入るヤッケを脱いで、ワカンを着装する。
朝日岳から見渡す雪の樹林帯は見事だ。山の奥深さを実感する。大弛小屋に午前中に到着。広い林道が雪に覆われたまま横切っている。この先甲武信小屋まで天場がない。ここで幕営する。明日は長い距離を歩く。
1973.03.28
大弛小屋05:50ー北奥千丈分岐06:20(北奥千丈岳ピストン)06:30ー国師ケ岳頂上06:40ーコル07:30/45ー富士見台(昼食)11:10/55ー水師13:30/40ー千曲分岐14:10ー甲武信岳14:50ー甲武信小屋15:05(泊)
大弛峠を出発してすぐに北奥千丈岳への分岐があり、往復する。頂上は2601m、奥秩父最高点だ。
ただなだらかな稜線の先にあり、高さは感じない。とにかく名前がいい。戻って国師へ。思ったより風もなく目の前に富士が大きい。越えると尾根は緩やかに下り、鶏冠尾根から分かれると急降下の道となる。コルからのんびりと登ると樹林帯が切れてポンと岩壁の上に出た。富士見台だ。陽射しが温かくのんびりと昼食をとる。
千曲分岐、懐かしい場所だ。あの湧水はどうなっているか、それを思うと素通りしたくない思いしきり。ここから甲武信への最後の詰め。上州武尊の沖武尊への道を連想させる。山頂から東に延びる稜線が破不・雁坂嶺を越え、笠取・唐松尾・飛龍を越えて雲取へ続いている。途中雁坂峠・雁峠・将監峠などの峠があり、その先には狼平などというすごい名の草地もあって、天場ではないが春山では雪の上に自由に張って泊まったこともある。
今日の甲武信小屋へ。山中さんという、秩父人にとって伝説的な名前の人で有名なところだが、今日の小屋の親父さんは少し若いようだ。ストーブがありがたい。
1973.03.29
甲武信小屋06:55ー甲武信岳07:15/25ー三宝山08:10/20―武信白岩08:37/55ー大山11:05-十文字小屋11:50(泊)
かつて私の家の2階テラスから雁坂嶺・破不・甲武信・三宝・大山・白岩が見えた。その先は両神に隠れてしまっていた。そしてさらに右へ西上州の山々、荒船、妙義、浅間まで。私はこの景を求めてこの地に家を建てた。その後40年たってその山々は全く見えなくなってしまったが、私のスケッチブックに残っている。
この奥秩父の中央の甲武信にとがったピークがあるのだが、高さは隣の三宝の方が14m高い。ただ頂上が丸いので、その感覚はない。樹林帯を進むうち何んとなくという感じで十文字峠に着いてしまった。
十文字小屋の親父さんも話好きなひとだった。部員がシュラフにくるまった後、茶碗酒を前に「高校生は夏休みここへ受験勉強しに来なさい。小屋は自由に使っていい。おれ、山を下りていてやるから。」などと語った。私は、私の山の師匠町田瑞穂氏が夏休み、「どら息子かたつむりほど荷を背負い」という句を残して山にこもったことを思い出しながら聞いた。明日は下山だ。
1973.03.30
十文字小屋07:50-赤沢ピーク12:27/50ー白泰トラバース14:40ー栃本部落15:50/16:00ー二瀬ダム停留所17:10/20=三峰口17:45/18:08=熊谷19:40
今日の行程は長い。ただ栃本部落まですべて尾根を下る道だ。柳田国男「峠に関する二三の考察」にいうパッシブな道、危険を見晴かしながら降る道だ。ワカンをつけながらなので安定感がある雪道だ。右に荒川の最上流真の沢を見、左に中津川の谷を見下ろしながら下る。1里観音と呼ばれる石仏に挨拶しながら飛ばして下る。赤沢のピークに向かって。両神山から奥秩父を眺めたとき、手前に長く横たわっていた山だ。昔下ったとき、全体が白い石と砂の明るい尾根だった記憶があるが、今日は雪の下だ。
下りに下って、最後尾根筋を離れて南斜面に入る。ここでも下りに下って、最後に予期もしない素晴らしい情景に直面した。杉林を出て疎林が終わった途端雪が消えて、ぬかるみの地面となった。そこを下り始めて私の目ガ釘付けになった。正面の泥の原に濃いピンクの花をいっぱいにつけた木が一本立っていたのだ。その木の彼方、斜面を下ったところに栃本の民家が小さく見える。近づいて桃の花だと分かった。雪の世界から人間の住む世界に入った、その象徴となるようなきっかけではないか。私はこれから入っていく世界が陶淵明のいう桃花源のように思えた。「鶏犬相聞こえ」の世界、そんな素敵な世界にこれから戻っていく。長い時間を雪とともに過ごした後のご褒美なのだろうか。待てよ、そう考えるのは雪の世界への侮蔑なのだが・・と、あれこれひとり自分に問いかける私であった。