1992.08.03-06 槍・穂大キレット 

北アルプスを白馬から穂高までをつなぎたい、その願いは私の山行の原動力になっていたものであり、今回の大キレットを踏むことがその願いを完成させてくれる。そう思うと早く踏みたいという思いともっと先に延ばしておきたいという思いとが心の中で葛藤した。
たまたま私が最後の勤務校である本庄北高校で、生徒と登山愛好会を作ろうと相談したことがきっかけとなった。部や愛好会となると顧問は複数いなければならない。私は思いを共有することができると思った若い同僚に声をかけた。お互い何か人間的な魅力を感じていたようで、一度一緒に山へ行ってみようということになった。選んだ山が槍から北穂の3泊4日だった。出会いというのは不思議なものである。彼がいなければもしかすると私の願いは見果てぬ夢のままになっていたかもしれない。

1992.08.03 5時間半列車・バスの旅
本庄06:37=高崎06:57~07:15=篠ノ井09:15~18=松本10:28~58=新島々11:28~35=上高地12:00~13:23ー徳沢14:38~45ー横尾15:40

1992.08.04 4回目の槍ヶ岳
横尾05:30ー二の俣出会い06:30~45ー岩小屋07:40~50ー槍沢昼食09:40~10:20ー槍ヒュッテ12:05~30ー槍ヶ岳14:30~15:00ー槍幕営地15:30

1992.08.05 大キレットへ
槍幕営地05:40ー大喰岳06:03~15ー中岳06:41ー南岳07:50~08:15ーキレット下り地点09:05~15ーキレット底部(昼食)10:15~40ー北穂小屋12:05~40ー涸沢ヒュッテ14:30~40ー横尾16:45

1992.08.06 帰途
横尾山荘05:35ー徳沢06:15~25ー上高地07:40~08:50=新島々10:00~17=松本10:50~11:37=篠ノ井12:31~48=本庄14:38 

槍から大喰岳、中岳、南岳の眺望は抜群だ。左に大天井岳、常念岳、蝶ヶ岳が連なり、右は拔戸岳、笠ヶ岳、錫杖岳が存在を主張している。自分が歩いた山並みというのは、なんといっても懷かしい。あの時の友は今どうしているか。
南岳からいよいよ今回目指す山行の中心、大キレットだ。高校山岳部には許可が出ないということはそれだけの難コースであることだろう。緊張感が高まる。
いきなり急降下が始まる。ただ鎖と鉄梯子はしっかりしており、底が近くなることでむしろ樂しくルートを辿ることができた。問題は反対側の急登の方だろうと思われた。無事に底部に到着。そそり立つ登りのルートを眺めながら昼食をとる。右手の谷は滝谷だ。浦松佐美太郎がハーケンの代わりにハイマツの根を削って岩の割れ目に打ち込んで足場を作った話を残している。1cm伸びるのに30年もかかるというハイマツを足場に使うなんてと、今では許されないことではあろうけれど、登攀器具などないその頃の話としてぼくは深く印象に刻んだものだった。写真は大キレットの底から南岳を見上げる地点。
いよいよ登りにかかる。すぐ右手からカーンカーンとハーケンを打ち込む音が聞こえ始めた。一方こちらは岩場でなく、分厚いザクの堆積だ。片足を上げるともう片方の足がずずっとめり込んで後退してしまう。それは何とも途方に暮れてしまうような急登だ。相棒は後日、あの時は怖かったですと述懐した。それでもなんとか登り終えた。写真は大キレット登りから底部を望んだもの。
北穂の小屋のテラスに登った途端びっくり仰天。それまで誰にも会わなかったのに、なんと我々が入るスキがあるだろうかと思われるほど人々が溢れている。そういえば北穂の小屋はモーツアルトの曲を常時流していると読んだことがあった。それが人気を呼んでいるのだろうかと思ったが、モーツアルトも他の音楽も聞えない。あれはもう止めたのだろうか。
そのうちハーネスをつけザイルを背負った若い男女二人が姿を現した。先ほど滝谷を登っていた人たちであろう。誇らしそうな顔だ。顧問仲間で、もう歳なので岩は止める、最後の名残で、滝谷をやって来たと話した男を思い出した。いろいろな人生がある、そんな感慨を懷かせる場所だ。
ほんとうは我々二人、静かにここまでのルートを眺めたいと思ったが、これではとてもではない。早々に立ち退くことにして涸沢に下る。下りながら感慨が頭をめぐる。これで私は白馬から穂高まで全部つなぐことができた。50年かけた山との付き合いだった。本当は奥穂から西穂が未踏なのだが、それはもう無理だろう。奥穂から前穂・岳沢‣上高地をたどったことで穂高に許してもらおう、そう思いつつ屏風岩を眺めながら横尾山荘についた。山への想いがまた一つかなった山行だった。

投稿者:ryujiiwata 投稿日時: