1992.7.23-25 剣岳

私はまだ一度もアルプスへ行ってない、妻はよく口癖のように言った。後ろ立山連峰、或は表銀座を意味するらしい。槍・穂高を目の前にするところとして、上高地の伝説的な嘉門次小屋に泊って徳本峠(とくごうとうげ)へ登ったことはあり、嘉門次小屋といえばアルプスを知る人は皆羨むんだよと言ってもみるのだが、妻の言うのはもっとポピュラーな名前の山、唐松-五龍とか、燕・常念とか、槍・穂高とかをいうようだ。私が混んだ山は好きでないというので、そのままになってしまっている。
今年、室堂に泊って剣に行こうと誘った。此処から話がおかしくなった。私は劔に行くつもりだったが、妻は室堂に泊ってという部分に反応したらしい。私は立山に登るつもりだったのに、気がついたら剣へのルートにいたと、あとになって何度も述懐した。気の毒なことをしたかもしれないが、女性が52歳になって剣に登ったというのは胸を張れることだ。むしろ良かったと思う。
私は昔学生時代にクラスの2人と登ったことがある。ひとりは地元富山市の男、もう一人は諏訪青陵という涼しげな名前の高校を卒業した男だ。富山の男は卒業後、イタイイタイ病裁判等をきっかけにり教員をやめて県会議員となり身体を痛めてしまう。「おれは本を読み過ぎて頸椎損傷をおこしちまった。」と語ったことがある。諏訪青陵卒の男はベートーヴェンとフルトヴェングラーを愛し、立原道造を私に教えたりもしたロマンチストだった。長野の高校教員になったが、権力と激しく戰って、人事で家族と別居を強いられたりした。登山部の顧問で「わが愛を知るやコマクサ」などと自分で作った部歌を酔って歌ったりしたこともあった。諏訪を訪れた私を案内したバーで飲んだジンライムの美しい色を忘れない。
その二人と大学二年生の夏、立山の五色が原で3日過ごした後、立山を登って剣沢に幕営して荷物をデポし、翌日剣に登った。苦しかったが樂しい一週間だった。学生だったからできた山行だったと今になってわかる。

1992.07.23
本庄05:30=内山峠=佐久=望月=三才山トンネル=松本=大町=扇沢11:30/12:00=黒部ダム=大観峰=室堂13:30-雷鳥平15:00
信越自動車道も長野道もまだ開通していない時代なので、山を訪れる時の懷かしい町や峠を越えてのんびりと走らせる。高速道路のように両側を塀で囲まれた道を行くよりたのしい。高速道路は早く目的地に到達するためのもの。プロセスは目的とならない。扇沢で恒例の鱒ずしの昼食をとる。
黒四ダムから見上げた立山には残雪が輝いていた。楽しみだ。
室堂から立山連峰を見る。山崎カールが雪に覆われていて美しい。雷鳥平へ下りて今日の行程はおしまい。幕営の準備に入る。

1992.07.24
雷鳥平4:30-別山乗越06:20/30-剣御前トラバースよりクロユリのコル07:20/35-一服剣・前剣のコル09:00-剣岳頂上10:40/11:45—前剣ー一服剣14:20/40-別山乗越16:33/43-雷鳥平17:55(泊)

いよいよ今日は剣岳を往復する。写真は出発時の称名川最上流の雪渓。山崎カールにまで続いている。此処から稜線まで雷鳥沢沿いのジグザグの急登だ。
別山乗越で稜線に出る。一本立てて(休憩をとること。昔は線香を立てたというが)いると足元の岩陰から岩陰に素早く動くものがいる。時々小さな頭を突き出してこちらを見る。オコジョだ。何だか幸先がいい感じ。
ここから左に折れて剣御前のトラバースルートへ。
正面に剣が見える。このあたりから妻は立山へ行く道でないと気がついたようだ。そそり立つ岩山の剣と手前の一服剣がハイマツの向こうに美しい。

私が被写体となった写真が少ないのでここのものを掲載する。
前剣を越えるといよいよ剣の岩山にかかる。かにのたてばい、よこばい、頂上直下の鎖場、妻も頑張っている。昔は人を寄せ付けない山だった。神の住む山だった。10時40分ようやく頂上へ。ゆっくりと休もう。

 

 

 


南には雄山、大汝、別山が見える。30年前あそこに立った。そして此処にも。往時の友は今日まで自分の選んだ生き方に自分をかけている。また会って杯を交わしたい。立ち去りがたい頂上だ。

 

 

 


1時間たったので下ることにする。登りより下りの方が油断できない。写真はかにのたてばい。

 

 

 

 

 


その次は前剣・一服剣のキレットだ。妻はよく頑張っている。
妻の調子がおかしいと気づいたのが剣御前のトラバースに入った辺りからだ。後ろについていると思ったのに、気づくとずっと後ろになっている。立ち止まって追いつくのを待ってまた進むのだが、すぐ間があいてしまう。見ていると、20mも歩かないのに立ち止まってしまうのだ。

 


雪の斜面が広大で怖くなったのかと思ったがそうではないようだ。しばらくして分かった。
岩を摑み鎖にしがみついて、体力的にも精神的にも緊張で何とか持っていた身体がトラバースルートの勾配のないところへきて一気に解放され、もう動けなくなっているのだ。いいんだ、もうゆっくり行こう、そう言って休み休み別山乗越まで辿りついた。此処からは下りだけ、しかも砂地と草の気持ちいい斜面だ。妻はふらふらになってテントにたどり着いた。よく頑張った、あと夕飯はぼくがやるよと言って、今日の山行を終えた。星空も見ずにぐっすり眠る。
これまでに一番大きな山行だった。

1992.7.25
雷鳥沢07:00-室堂ー黒部ダム=扇沢13:00/30=大町=豊科=青木峠=上田16:00-本庄19:45

投稿者:ryujiiwata 投稿日時: