天地(あめつち)の 分(わか)れし時ゆ 神(かむ)さびて 高く貴(たふと⁾き 駿河なる
布士の高嶺を 天の原 振り放(さ)け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も
見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ
不尽の高嶺は
反歌
田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける
高校時代教科書にあって、スケールの大きな歌だなあと暗誦したものだ。今見ると、「わたる日の影も隠らひ 照月の光も見えず」というのは北側から見た光景だろう、でも反歌で「田子の浦ゆうち出でて見れば」とあって南から富士を仰いでいる。どういうことだろう、などと理屈をつけたくなってしまう。歳を重ねるということは不幸だ。
富士山について「一度も登らぬバカ、二度登るバカ」と聞いたことがある。息子たちのために一度登ろうかと考えて出かけた。
1987.08.23
本庄08:45=(関越自動車道)=練馬IC09:50=調布IC=(中央高速)=河口湖13:00/14:00=(スバルライン)=新5合目15:00ー登山道分岐15:40ー鳥居山荘17:15(泊)
予想通りたくさんの人が頂上を目指して広い登山道を登っていく。周囲は赤茶けた砂・礫だ。オンタデだけが元気に株を作っている。
1987.08.24
鳥居山荘04:30ー雲海の上にご来光05:07ー県境小屋-頂上09:40ー須走口ー六合目ー新5合目=河口湖(夕食)
雲海はいつ見てもそのスケールに圧倒される。その上に姿を現す太陽も忘れ難い。頂上で真冬に立った新田次郎を思い浮かべた。