尾瀬から平ヶ岳へー残雪期のみ可能なルートであることを、いつ誰から聞いたか記憶に定かでない。もしかすると先輩の吉川氏からかもしれない。そうするともう10年も前の話だ。これも10年前利根川の源流に憧れて、越後駒ケ岳から中岳、大水上山とたどって大きな雪田に辿りついた山行の中で、大水上山の尾根伝いのすぐ手の届くところに平ヶ岳を見た時の感動がずっと生き続けていること。さらには、かつて銀山湖経由でたずねた平ヶ岳が懐かしい山として思い出されること。それらが重なって、ここ何年もの間憧れの対象となっているルートだ。
残雪の季節、そして3連休が必要という条件を考えると、今年5月の連休は絶好のチャンスということで昨年から心待ちにしていたルートだ。大水上山から見た日の感動を共有する友と再び歩けることになったことも楽しい。75ℓのザックを新調し、九州付近の日本海に低気圧が二つあるのを気にしつつ眠る。

                                        
1987.5.03
沼田駅はいつも通りの混雑。戸倉から鳩待へのバスは終点手前で道路わきに駐車した自家用車の列のため先へ進めず。鳩待峠まで小雨の中を歩かされ山の鼻に下る。雪の上をパンプスを手にストッキングの足で下る女性もあり。家族連れはほとんどズック靴。
山の鼻で昼食を取り、13:20出発。猫又川流域を目指す。連休の混雑が急に消えて、ガスの中雪原が続く。山スキーで降りてくる人たちが多数、平ヶ岳からの帰りなるべし。左岸から外田代を目指す予定を変更し左股の右岸を辿り、アーチ形の倒木を頼って沢を横切りそのまま尾根に出て、雪の上に天幕を張る。コメツガの林からブナ林に代わる境目。雨止みやや風あり。ガスの中から山スキーを付けた初老の人たちのパーテイが下りてくる。「平ヶ岳だと思うけどガスの中で分からなかった。」との言。明日の天気に期待をかけて眠りにつく。

1987.5.04
夜中の月明かりが保証してくれたように朝の青空が美しく7:00出発。ブナ林の急登から始まる。雪の調子は良く、アイゼンが気持ちよく食い込む。振り返れば至仏山にガスが晴れ行くところ。尾瀬ヶ原外輪山の大白沢岸壁の左へ出るつもりが、トレースをたどるうちに右肩へ出た。稜線へ出ると強い風にあおられる。頂上下をトラバースして反対側の尾根筋へ。平ヶ岳が彼方に大きく我々を迎えてくれる。あそこまで行く。順調に下って白沢山へ。山頂で平ヶ岳をバックに写真撮影。緩やかな登降の稜線を楽しく辿り、最後の雪面を詰めると、そこが広大な平ヶ岳山頂だ。11:45。名前のとおり廣い平らな山頂部だ。こんな地形が浸食も受けずにそのまま残っている。どんな固い溶岩が盛り上がったのだろうか。かつて訪れた越後中岳、大水上山のピラミッド型のピークが五月の陽光に白く輝いてわれわれを迎えてくれた。至福のひと時がそこにあった。

一等三角点は低いブッシュに囲まれておりその中で昼食。眼前にはいつもと反対側を見せる燧ケ岳と、その左に会津駒ケ岳の長い稜線、眼下には台倉尾根が大きくカーブして下っている。夏の日、あの台倉尾根を喘ぎながら登って来て、とうとう途中でダウンして尾根の最後のテラス(ちょっとした平らなスペース)にビバークのテントを張った。翌朝下ってきたパーテイのリーダーが、「ああこういう手があったか」と羨ましそうに眺めた。無理して池の岳まで登ったのだろう。もう18年前のことだ。その翌日、池の岳でにわか雨に襲われて急遽テントを張ったが、脇の湧水が鮮烈だったことを思い出す。その池の岳がすぐ眼の下だ。そこまで行きたいとの思いしきり。
私たちだけだった頂上に若やいだ人声が近づき、われわれは下山することにする。広い頂上直下を南にトラバースして稜線へ。二、三のパーテイに合うも皆山スキー。ただしアップダウンはかなり急で、皆スキーを外して行動するものばかり。アイゼンで歩くのが確実だ。大白沢コルに向かう最後のピークで振り返って平ヶ岳をスケッチ。あの頂上に立った。あの斜面で休んだ。あの稜線はクラストしていた。描きとっていくポイント一つ一つが懐かしく、いとおしい
大白沢山からは林の中。五月の暖かな陽光を受けて、所々グリセードもまじえて快適に下り、15:45小さなテントの待つブナ林に帰着。憧れの山行が終る。
スケッチ下は18年前の1969年夏、平ヶ岳台倉尾根ビバーク地点より尾瀬燧岳。

カテゴリー: 1987 平ヶ岳