「百名山詣で」という言葉がある。深田久弥の『日本百名山』という名著があり、それを読んであらたな山の魅力あるいは山行の魅力を知ったという人は少なくない。
深い哲学的な思索に裏付けられたあの文章によって、山が単なる地理的な存在ではなくなる。また、信仰や修行の場としての存在とは別のものとなる。スポーツの対象以上のものとなり、健康管理の道具以上の存在となる。それは、何度読んでも尽きない魅力をもった文章である。そういう本はほかにもある。浦松佐美太郎『たったひとりの山』も私の愛読書だ。そういう古典的名著を持つわれわれは、豊かな文化の中に生きているといえる。
しかし、「百名山詣で」の人たちと話してみると、あるいは話をしているのを聞いていると、どうも違和感を感じてしまうのだ。「今年は3座のぼりました。あと○○座です。」「今日下山して、明日○○山をやり、そのまま次に◎◎へのぼります。」という類の言葉があちこちから聞こえてくる。ヘリコプターまで使って、最低日数で登りきったというのが、マスコミに取り上げられたこともある。百名山をすべて登ろうという熱い情熱だといえば聞こえがいいが、なんのことはない、数をこなすだけの話なのではないか。
だいたいにおいて、山に失礼じゃないかと、そのたびに私は憤慨してきた。数をこなす山行では、登られる山は通過点でしかない。どの山もその山独自の顔をもっている。それと正面からつきあうことが、ほんとうの山行だ。いくつ登っても、前の山は褪せることが無い。ほんとうに山が好きであるなら、そうなるのが当たり前だろう。
そういう意味で、私は百名山の数をこなすつもりで山へ登るということはして来なかった。数えれば七十数座になっているようだが、それはあくまで結果であって、数を増やそうとしたわけではない。ただ、深田久弥の選んだ山を訪れて、彼の思いを追体験してみたいという思いはある。雨飾山に登ろうとしたのも、そういうことだった。

毎年夏に山行を共にする仲間がいる。4人のうち1人が都合つかず、今年は3人となった。雨飾山を二万五千分の一の地図でみると急登の連続のようで、出発するまでかなり緊張を強いられた。そういえば、このメンバーで登った山は、鳥甲山、守門岳と、ここのところ急登の山の連続だ。今年もあえぎながら登るのだろうか。深田久弥は荒菅沢をつめた。一枚岩の布団菱に廊下状に穿たれているというゴルジュを、私も辿ってみたいとは思うが、われわれには無理だろう。地図上の登山道をいくしかあるまい。
夏も終わろうという8月24日、4時45分に本庄を出発した我々は、8時10分には小谷温泉に着いていた。上信越道、白馬オリンピック道路を使うことで、かつてはとても考えられなかった行程で山行が可能になった。環境問題を考えると、これでいいのかなあと、ひっかかってしまうのだが・・
登山口は、小谷温泉よりさらに車で20分のところ、そこにキャンプ場があり、駐車場があった。8時45分出発。道はすぐに大海川の河川敷に降りる。ガイドブックには、靴が半分くらい沈む、歩きにくい湿地とあったが、真新しい木道が設置されており、ありがたかった。登山者のためばかりでなく、湿地保護にも有効だろう。巨大な葉に成長したミズバショウも点在する。30分ほどで河原から左の山にとりつく。急な登りが始まった。ゆっくりと辿る。
1時間30分で荒菅沢を見下ろす地点に出た。沢の真上に始めて雨飾山頂が姿を見せた。緑の木々の中に幅100メートルほどの雪渓が上っていて、その先は布団菱の岩壁、その上に槍の穂先を思わせるような岩峰がすっくと青空に突き上げていた。我々はその端麗な雄姿に見とれてしばらく動けなかった。登山とは憧れだとよく思う。あの頂上が心にはっきりと焼き付いて、そのイメージを追って登って行く、それはそのまま憧れていくことだ。その憧れがあるがゆえに、途中の雪渓の冷たさも心に沁みるし、足元に咲く花も心引かれる存在となる。
雪渓を渡って道はさらに急登となった。kさんの呼吸が苦しそうだ。車の運転に神経を使ってきたのだから無理もない。ペースを落としてじっくりと登る。樹林帯が終わり、潅木帯を抜けて笹原となって、ひとあえぎしたところで、肩の草原に出た。ハクサンフウロ、トリカブト、マツムシソウ、リンドウ、アキノキリンソウ、ウメバチソウ等が色鮮やかに咲いている。振り返れば頚城三山の一つ、焼山が彼方から我々をみつめている。座り込みたくなる気持ちを抑えて15分ほど歩くと、いよいよ穂先に向かう最後の急登だ。岩の間をぬいながら登ること15分、ぽんと頂上に飛び出した。時に12時50分。予定を大幅にオーバーした。深田久弥が猫の耳と称した双耳峰は意外と近く、互いに1分もかからない。我々は南峰に座を占めてビールを飲み、遅い昼食のラーメンを作った。天気が良過ぎて北アルプスは見えない。それでも、目の下には、先ほどの草原が緑色に広がって、快い午後の風が我々を撫ぜて過ぎていった。「どの山にも頂には憩いがある」と深田久弥は書いている。我々も1963mの頂上で1時間以上も至福の時を過ごした。

カテゴリー: 2003 雨飾山