浅間山の登山ルートは
 1.峰の茶屋→頂上
 2.浅間山荘(天狗温泉)→湯の平→頂上
 3.追分が原→天狗の露地→湯の平→頂上
 4.黒斑山→Jバンド→頂上 (黒斑→草付→湯の平→頂上)
このほかに昭和54(1979)年版の五万分の一の地図には、天狗の露地から湯の平へ出るのでなく、ストレートに前掛け山の東下を通って釜山(頂上)に至るルートが描かれている。昭和昭和35(1960)年版も同じ。しかしこのルートはもう50年も前に閉鎖されている。閉鎖の看板が天狗の露地に立っているのを私は見ている。
もうひとつ、1960年版にありながら、1979年版には消えているルートがあった。天狗の露地の下に湧いている一杯水の手前から、剣が峰の東を通って平原へ出る延々10キロ以上の道である。
浅間の頂上を目指して、かつてこの道をたどった人たちがいた。あるいは、頂上を踏んだ後御代田の街道を目指した人たちがいた。その人たちの思いを自分も追体験したい。そんな願いを何年も懐いていて、1978年初夏、ようやく機会を得た。
追分コースの石尊山の稜線からカヤㇳの茂みを分ける。一杯水でのどを潤し、天狗の露地への急登をつめると平坦な芝地にまだ雪がかなり残っていた。そのまま湯の平に出ると、登山者がちらほら見える。今日は出来れば一人で歩きたい。そう思って歩を返す。天狗の露地を下って100mのところに、「御代田分岐」と墨で書かれて半分消えかかっている小さな道標があった(今はもう無い)。どんな道か、明瞭でない下り道を前に幾分緊張感を抱いた。右手に牙(ぎっぱ)に続く剣が峰がそそり立つ、その下を進むとすぐに登山道わきは、イワカガミ、タチツボスミレ、リンドウが群落をつくっており、振り返ると浅間が大きい。人影は全くなく、石尊山稜線の広々と続く原に快い風が吹く。落葉松の芽吹きが美しい。落葉松とその上に聳える浅間山を私は版画に描き年賀状に使った。しばらく行くとなだらかな下りとなって、笹原と白樺林が続く。カッコウの声が遠くに連続して響く。右手遥かに槍・穂高がくっきりと姿を見せ、山旅の友となってくれた。私はゆっくりと休み、ゆったりと身体を横たえて青空を眺めたりもした。良い日、よい季節、静かな山行を味わった一日となった。
およそ1000mも下ったろうか。広い中腹に開発の手が入り始めているのに気づく。西軽井沢などという看板も見える。まもなく俗化されてしまうのだろうと思うと、今見わたせる浅間の裾野がいとおしい。ちょうど田植えの時期だった。ただ、人家にでてから駅までが遠い。御代田の駅への道を見過ごして、平原まで歩かされてしまった。