始めのうち気にも留めなかった山が、今いちばん身近な存在になっているという話をしよう。
誰もいない雪山に入り込んで、ラッセルであえぎながら上り詰めた頂上、そこでまず何をするかというとビールを飲むのである。ザックに腰を下ろして目の前に広がる浅間に挨拶をするのはその次なのだ。また来たよと呼びかけることで、私は浅間と二人きりの時間を何度も何度も持つことができた。写真について。たまたま登山口で一緒になったカメラマン志望の若者が「雪山は初めてです。連れて行ってください」と同行を願ってきたので一緒に登ったことがあった。一人の時は不可能だった私の写真が残ったのはそのカメラマンのお陰である。
石尊山は、浅間に登頂した帰りみちで、カヤトの道がおわって広い砂地に出たところにちょこんと盛り上がっている丘のような山だ。一つの山行が終わろうとする場所にあるので、つい横目で眺めて通り過ぎるというかかわり方で長年過ぎてきた。
それが変わったきっかけは、この丘のような頂きを越えて真南に下りたところにある座禅窟という洞穴を目指したいという新たな目標を設定して、五万分の一の地図を頼りに辿ったことだったろうか。踏み跡道はあったのだろうが、秋だったので落ち葉に覆われた道はすぐにわからなくなり、ルートファインデイングに苦労したことを覚えている。登山道が明瞭でないということは、下りよりも登りに適したルートなのかもしれぬ。ただ、のぼりでも藪漕ぎを強いられて、夏だったせいもあり半ズボンTシャツの皮膚が傷だらけになり、しみて何日も風呂に入れなかったこともあった。ともあれ、このルートは誰にも会わず、自分だけが浅間にいだかれているという極上の雰囲気が味わえるということで、私のお気に入りコースとなっている。
この山が大好きになったきっかけのもう一つは、夏の終わりに浅間の頂上から下りてきて、このあたりでコケモモがいっぱい摘めたことだ。歩きながら摘んで口に入れるその味は、山歩きの至福の時間を教えてくれた。と同時に、もう50年もの昔、北八ヶ岳を縦走して大河原峠に下りた時、そこの茶店で売っていたコケモモ酒の思い出につながる。まだ熟しきらない赤と緑の木の実がウイスキーのポケット瓶に入って並んでいた。その色彩の美しさに、まだ果実酒というものを知らなかった私ではあったが、すっかりまいってしまったのだ。そのコケモモがいっぱい摘めることを知って、翌年出かけて摘んだコケモモを3ℓも漬け込み、更にジャムにしてみた。ジャムを同級生に持って行ったところ、「100点」といってくれたことは『幼な子とともに歩んで』に書いた。一年後味わったコケモモ酒もほんとうに美味しかった。これ以後果実酒のレパートリーもひろがったが、コケモモとこれもこの山で知ったチョウセンゴミシ、それがベスト2である。
この山との縁はもう一つある。カモシカである。これについては他のところで書いた。
これだけの関りを持てば私にとってこの山がいちばん身近な存在になっているということが分かってもらえるだろう。ただ、ここ十年程で状況が変わってきた。コケモモもチョウセンゴミシも収穫量が激減したのだ。はじめ熊か鹿が食べたのかと思った。しかし、はじめのうちまだぽつぽつと残っていたコケモモやゴミシが次第に少なくなり、ここ二、三年はきれいになくなっている。
訪れる人が増えたのだろうか。もしかしたら業者かもしれない。熊だとすれば争うつもりはない。もともとこちらがインヴェーダーなのだ。
冒頭に書いた雪山でのビール、それだけはまだ残っている。私にとっての石尊山は1660mの低山ながら、私を支えてくれる大切な山になっている。