ようやく念願の雪山に出かけることができた。最大の行事の音楽遊戯会の前日、担任はもうグロッキーになる一歩手前であろう。申し訳ないような気分もあったが、この機を逃すとまたいつになるかという気持ちのほうが強く、あえて出かけた。前日の夕刻から西風が強まり心配ではあったが、当日は低気圧が東に抜けるとのことだった。
終わっての感想は、うれしかった、そして疲れた・・だった。こんなに疲れたのはここ11年来なかったことだ。ひとつには、メインルートでないルートを選んだこと、もう一つはそれに雪が深かったこと、この二つが原因だ。ということであれば、自分の選択の結果であるから文句を言うつもりはない。
登山口から雪だった。次第に高度をあげ、ダイレクトコースと巻道の分岐でワカンをつけ、巻道に入った。ピッケルは大型リングを装着したのだが、新雪では役に立たない。


谷道から広い尾根に出たのだが、この広さがくせものだった。1mの雪に覆われた尾根道はブッシュを埋めてしまって、登山道が全く分からなくなってしまって、先の谷に降りる下降点が分からない。谷を隔てた向こうにこれから目指すピークがそびえ、無雪期であれば何ということもないのに、今日は気が遠くなるほどかなたに見える。
谷に落ち込むふちを行ったり来たりして、ようやく下に下るルートを発見し、安堵して辿ったのだが、谷から向こう側の尾根に向かうルートがまた分からない。じっとみていると、わずかに雪がくぼんでいる箇所がみつかり、ルートであろうと見当をつける。その先雪はさらに深くなり、登り斜面では腰まで落ちてしまうところもでてきた。ピッケルを横たえて体重をかけ雪面に這い上がると、息が切れて動けない。ここまできてかなり疲労感を覚えてきた。


これで先へ進めるだろうか、引き返す勇気が必要なのではと、不安に駆られ始めて、それでもルートを探ると、かすかにルートらしいものが見え、目を凝らすとどうやら足跡さえついているようだ。頂上から下ってきた登山者が、ここまで来て雪の深さに辟易して戻ったのだろうか。救われた思いで近づくと、なんとカモシカの足跡なのだ。真新しい足跡で、私の進む方向に向かっている。しかもその小さな足跡に恐る恐る靴を載せてみると、しっかり受け止めてくれてずぼっと落ち込まない。
いったいこれはどうしたことだろう、二つに割れたひづめのあとを眺めながら考えてしまった。私には見えない登山道の上を辿れば深雪に落ち込むことがないということを知っているからであろうか。これは理屈だ。私の心の中では、カモシカがどこかからじっと私を見ていて、もう限界だと察した彼(女)は、私を先導してくれたのだ。そのカモシカは、夏の初めに出会って心を通わせあったあのカモシカかもしれない。それまで足跡など見つからなかったのに、急に現れたのは私を助けようとしたからではないか。そこに動物の意思を見ることは間違っているだろうか。
この足跡を踏んでいってみよう、それがカモシカの心に応えることだ、私を助けてくれ、そんな気持ちで息をあえがせながらついていった。不思議なことに、ちょっとずれるとワカンの足がもぐってしまうのに、足跡の上に足を置くとしっかり跳ね返してくれる。

それはなんとも言えない心楽しい時間だった。稜線まであと少しあと少しと足を運んだ。ようやく稜線に出てそのままカモシカは稜線を向こう側へ降りていくようだ。もういいだろうと言いたげな足跡だ。私はありがとうさよならを言って、メインルートとの合流点を目指しました。
合流地点についたとたん、またズボッと足が落ちこんだ。引き上げるときワカンが外れて、え?と思ったら、ワカンのベルトが切れているのを発見した。ぞっとした。もしあと30分前だったら、ここまで来られなかったかもしれないからだ。私は何かに守られている。それはカモシカかもしれない。こんな考えが山に対する慢心となってはいけないと思いながら、夏に出会ったカモシカの目を思い浮かべて、午後の遅い時間の日差しを浴びて、ビールを飲み、サンドイッチを頬張った。
時間はもうこの先へいくだけのゆとりはない。いつもは3時間ほどで頂上へつくのに、今日はここまでに5時間かかっている。これから下っても登山口に着くのは日没後になるだろう、このまま下ろう、山はいつもあるのだからと、自分に言い聞かせて、下山することとした。下り始めて15分、落ち葉の下の雪が凍っていて、足を滑らせ、いやというほど尾テイ骨をうった。そっと歩いておりたが、心は今回も充実感に満たされていた。それにしてもくたびれた山行ではあった。

この項は、前著『幼な子とともに歩んで』収録のものを収めたものである。