足拍子岳1480m
此の足拍子岳というおもしろい名前の山は、上越線土樽駅に降り立つと真正面に出迎えてくれる山である。双耳峰の美しい山容で、新人歓迎合宿(新歓)の季節は山腹に濃いピンクの山桜が何本も咲いていて、山の季節を感じさせてくれる。
この絵がいつ描かれたかの記録が落ちている。特定することはできないか。手掛かりが見つかった。
新人歓迎合宿は、ベースキャンプまでは毎年同じルートである。駅から線路伝いに毛渡沢を渡る。新人はここで最初の恐怖の場面を経験する。鉄橋を渡るのだが、線路上は万一列車が通ったら逃げ場がない。線路わきに保線用の幅50cmほどの板が敷設されている。その上を渡っていくのだ。一度ならず列車と遭遇してしまったことがある。大きなザックを背負って、列車に引っかからないよう板の上にしがみ付く。列車がその横を轟音を立てて次から次へと通り過ぎていく。よく無事だったというより、よく問題にされなかったという思いが残っている。
こういうことをしたには大きな理由がある。当時、近道をしない場合、駅から車道に出るには、50mもあるような急斜面の階段を降りなければならない。むかし蓬峠を訪れた道だ。今回は蓬峠への道と反対方向に向かう。40kgもあるザックを担いで、山道を行くのはまだしも、車道を延々と歩かされるのは何とか避けたいという思いからだ。
ところが、途中から様子が変わった。来るたびに急坂が埋められて、とうとう駅と車道が同一平面になったのだ。初めのうちはなんだかわからなかった。ちょっとしらべたら、新幹線のトンネルの廃土だったのだ。上越新幹線は1971年に起工して、1982年に開業している。土はこの間にトンネルから運び出されて谷へ投棄された。いっぽうこの絵は駅前からのものでなく、日白山の頂上で休憩しているときのものであることは記憶に確かだ。
ベースキャンプ到着する。周りはまだ厚い雪に覆われていることもあるが、多くは雪が消え始めてそこにイワウチワのピンクの花が何とも言えず可憐な姿を見せていることが多い。顧問は途中で摘んだフキノトウやコゴミをさっそく痛めて酒のつまみとする。新入生は初めての雪山を明日に控えて緊張しており口数も少ない。
ベースキャンプでの二日目は周辺の斜面でワカンやピッケルワークの練習をおこなう。バランス歩行や滑落停止など冬山登山の準備などは今しかできない。グリセードでピッケルを太ももに突き立ててしまったケースも出たりした。三日目は、仙の沢を見下ろしながら平標山までナップザックで往復することもあり、そこからさらに仙の倉まで足を延ばしたこともある。もちろん雪の状態によって途中までのこともある。そんな中、記録では、新幹線の起工から開通までの期間に日白山を目標にした年が一度だけある。それが1974年だ。下りの尾根に辛夷が純白の花を満開に開いて、雪の中にすっくと立っていたことを思い出す。この絵はその年に描かれたものであることが確定された。写真は日白山への尾根道である。

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