井上靖の初期の作品『猟銃』にはハンターの紳士に従う猟犬が登場する。宮沢賢治の『なめとこ山の熊』にも小十郎の伴侶のような「たくましい黄いろな犬」が。前者は洋犬のイメージで、後者は秋田犬かとも思うが宮沢賢治の頃に秋田犬はいなくなってしまっていたかもしれない。とすればアイヌ犬か。ともあれこれらは役割を持った犬である。
これから書く犬は私が山へ一緒に行った犬であって、狩猟用ではなく、友だちの関係というべきか。私は中学生の時迷い犬がわが家に來て以来、常に犬と一緒だった。山に連れて行ったのも親友と一緒に山登りをする感覚だった。その中で幾つもエピソードが生まれた。そのうちのいくつかを。
クロフは一晩中私たちを見守ってくれたー磐梯山
浅間の石尊山での話。南尾根に出る直前の藪でクロフと名づけた犬がいきなり吠えだしたかと思うと、3メートル先の藪の中からカモシカが飛び出して、目の前をビービーと啼きながら走って横切り尾根を越えて姿を消したことがあった。以来もし熊がいたら知らせてくれるかもしれないという期待を持つようにはなった。しかしこれもあまりあてにはならないかもしれない。追分が原の林道で会った夫人は、シェパードを連れていて、しばらく立ち話をしたが、熊の話になった時、「私はこの林道で距離はかなりあったけど熊に出会ったことがあります。でもこの犬は何の助けにもならなかった。仕方なく私がわんわんと吠えたのよ。」と言った。わが愛犬もじっと見つめたまま吠えるのを忘れてしまうかもしれない。ただ、犬は私が寝転ぶとすぐ横に來て、わたしを守るようにきちんと坐って周囲を油断なく見わたすのだ。
そんなクロフを連れて家族で磐梯山に登ったことがある。北側の湖沼群をいくつか廻って登山道近くにテントを張り、翌日頂上を往復した。クロフは後になり先になりして嬉しそうに歩いた。
問題はその後、無事下山して駐車場に着き、さあ帰ろうと出発した時のことである。クロフは床に座ったかと思うとそのまま横になって前後不覚に眠ってしまったのだ。しかもいびきまでかいて。子どもも妻も私もあっけにとられてしまった。はじめは小一日山を歩いたので疲れたのだろうと思った。でもまだ3歳、疲れる歳ではない。やがて気付いた。クロフは夜初めての土地で私たちを守るつもりでずっと眠らなかったのだろうと。たぶんいろいろな音や声や足音が聞こえて、眠れなかったのでもあろう。車の中に入って、ああもう安心だと判断した途端、緊張がゆるみ、前後不覚になったのだろう。私は子どもたちに説明し、クロフを改めていとおしく思った。クロフは家に着くまで目を醒まさなかった。
犬は水を嗅ぎ当てる—弥陀ヶ城谷
浅間を南から眺めると真正面に深くえぐられている場所が迫る。その最上部にある大岩壁が弥陀が城岩とよばれている。浅間のもとになった火山は仏岩火山というそうだが、その仏岩火山が昔の姿を現わしているのではないかと私は勝手に想像している。いかにも爆裂口の火口壁というたたづまいなのだ。以前は全く人の姿を見ない谷で、山ウドの宝庫だった。今は狙う人が多くなって、大きく育つ前にほとんど拔かれてしまう。本当は切り取らないと株がなくなってしまい翌年出てこないのだが、そういう配慮もなくなってしまったようだ。
谷は最後急斜面となって前掛け山を横切って頂上に伸びている。歩いていける最上部が弥陀が城の岩壁だ。その基部の草原に腰を下ろしてビールを飲み、コーヒーを落として、最後寝転んで青空をとんびの舞う姿を眺めるというぜいたくな時間を味わうことができた時代があった。
そんな時に伴侶となるのが愛犬だった。今は山の生態系が崩れるということで連れていけなくなったが、当時は犬も樂しい時間を過ごしたのだろう。その頃ツェルトを持って谷の岸の上の緩斜面に一晩過ごしたことがあった。弥陀が城行その時の愛犬はアサマだった。崩れる岸の壁を登ると草原にミヤマハンノキの疎林が広がっていて、一晩過ごすのに最高の場所だった。アサマがいなければ熊が心配で幕営はできなかったと思う。いつか天狗の露地の手前で出会ったパトロールのおやじさんは、こちらに気付かずに近附く熊を見て恐怖にかられ、持っていた枝の先に付けた鈴をガランガラン鳴らしたところ、尖った鼻を真上に突き出して匂いをかいだ熊はそのまま向きを変えて去って行ったという。昔はソロテントでも熊の心配はしなかったのに、熊が増えたのだろうか。この日、ミヤマハンノキの下にツェルトを張っていると、となりでアサマが何やら砂に鼻を押し付けて匂いを嗅いでいる。「どうした」と聞いてもやめない。そのうち前足で砂を掘り始めた。4・5cmも掘ったところ驚いたことに下から凍った雪の層があらわれた。「えーっ」と言っているうちアサマは上下の前歯でガリガリと雪を齧り始めた。すごいと感心してしまった。「ダーウインが来る」でアフリカ象が乾季の砂漠で水を掘り当てる景を見たことがあるが、犬も同じ能力を持っていると認識した。考えてみると、朝家を出て以来水を与えたのは昼食の時だけだ。人間が大丈夫なのだからと軽く考えていて、アサマには可哀想なことをしてしまった。それでも動物の生きる本能の確かさを目の当たりに見た日であった。
迷った犬は私も見附けて飛びついてきたが・・
アサマは出自が不明である。息子が利根川で拾ってきて、マンションでこっそり飼っていたのだが結局飼いきれなくてわが家に來た犬だ。浅間山が大きく見える場所だったのでアサマと名付けたという。
我が家に来て初めてうさぎと面会した時、うさぎは恐怖に駆られてケージの中を夢中で走り回ったが、何日かすると慣れて、金網越しに鼻をくっ付け合って挨拶するような友好関係になった。
その犬をつれて妻と赤城の荒山高原に出かけたことがある。荒山は頂上まで樹林帯で景観には恵まれない。ただ鍋割山との分岐は高原ようの広場になっていて、レンゲツツジが美しい場所だ。頂上を往復し、レンゲツツジの間を逍遥して昼食のビール・ラーメン・コーヒーを済ませるともう下るだけだ。犬は下ることを雰囲気で察するようだ。今日は誰にも会わないからと、アサマの引き綱を外したところ、アサマはうれしくて辺りを走り回り我々の先に立って道を下った。
下り道が途中で分岐していた。アサマは何のためらいもなく左の道を走って降って見えなくなってしまった。右の道を選ばねばならないのにと気づいた時はもう口笛を吹いても聞えないのだろう、戻ってこなかった。気がつけば戻って後から追いついてくるだろうと、あとを振り返りながら登山口まで下ったが姿を現さない。しばらく待ったが空しかった。仕方ないから私だけあの分岐まで行ってこようと話し合っていたところ、男性が1人上から下りてきた。「犬を探しているのでは。」と言い、「分岐の所で座っている犬がいて、呼ぶと後ろに下がってしまう。利口な犬だね。」と教えてくれた。私は礼を言い、半分走りながら時々口笛をふいてみた。かなり響いたと思うが反応がない。20分ほどで分岐まで戻った。するとそこにアサマがきちんと坐っていた。「アサマ」と呼ぶとはねおきて、私に飛びついてきた。ぴょんぴょん跳ねて私の身体を確かめたかと思うと、急に何事もなかったかのように辺りをうろつきはじめた。私は少々あっけにとられたが、ふと同じような情景を何かで読んだことを思い出した。志賀直哉の小説だったろうか、はぐれた馬の親子がようやく出会えた時、母親に身体をぶつけて喜びを表していた仔馬が次の瞬間何事もなかったかのように草をはみだしたという景。人間と動物との違いということなのだろうか。アサマは今度はあまり離れずに登山口まで下った。
オオカミ犬の末裔アサマⅡ
アサマⅡは甲斐犬雑種一代で、4か月で岡部の知人から我が家にやってきた。甲斐犬が川上犬・秩父犬・十石犬と同じくオオカミ犬であることを後で知った。甲斐犬3頭をシカ・イノシシ駆除のため奥秩父の山中に放ったところ、うち1頭は山梨の我が家に戻ってしまったという話を畏友のJ氏が語ったことがある。かつてシベリアオオカミの遠くを見つめる眼差しにとりこになった私はオオカミに関心をいだいていた。アサマⅡはもう山へ連れていける時代ではなくなっていたが、雪の降りしきる朝、元小山川で一緒に戯れたりした。夏の夕べ雷鳴にパニックになって、抱きとめようとした私の手に嚙みついたこともある。野生味の強いこの犬が我が家の犬の最後になった。ここに写真を掲載して「山と犬」に仲間入りをさせてやりたい。