私の中に存在する山への憧れは、新しい世界に目を向け始めてきていた。もちろん北アルプス、南アルプス、八ヶ岳、上信越の山々、それらかつて訪れた山々への愛着が消えるわけではない。ただ、日本にまだ私の知らない世界があるということ、それへの憧れは、これまでの山々への愛着と並んで強まってきたのだ。とくに私の中では民俗学や文学で身近な世界となっている東北の山々が親しさを感じさせて、地図を見ながら候補となる山々を選び出すこととなった。啄木や宮沢賢治と岩手山、柳田国男と早池峰山、斎藤茂吉と吾妻山、光太郎・智恵子と安達太良山や磐梯山、芭蕉と鳥海山、そう挙げていくといくらでも出てきて、私の生きているうちに果たして登り切れるだろうかと焦るほどだ。そういう文学的な関心と離れて、山自体の魅力をもって眼を引いたのが、日本海側の朝日山地、飯豊山地だ。山域自体が大きい。その大きな山塊に懐かれて見たい、私の中にその憧れが大きくなっていった。そして最初に選んだのが飯豊山塊だった。ここでも決め手は『日本百名山』だった。
  大きな残雪と豊かなお花畑、尾根は広々として高原を逍遥するように樂しく、小さな池が幾つも散在して気持のいい幕営地に事欠かない。
 こう紹介されればもう抗えない。ただいきなりこの大山塊を一度でつかもうなどと考えるのは不遜だ。今回は最短ルートで核心部を横切ってみようと思った。幸い五万分の一の集成図で「飯豊連峰大地図」というのが手に入った。普通の五万図を4枚合わせた以上の大きさだ。新発田からから赤谷線で飯豊川を遡り、オーインノ尾根という不思議な名の尾根を辿り北股岳にアタック、イシコロビ雪渓を下って米坂線の小国へ出るコースだ。東北の山という新しい世界への期待が膨らむ。

1971.08.09-10
本庄22:56=高崎=新津=新発田05:25~46=東赤谷06:25-湯の平温泉16:10(幕営)
荷が重い。35㎏はあるか。高崎駅で着席券が手に入った。安堵して葡萄を食べる。夜汽車は昨年の平ヶ岳以来だ。計3時間くらい眠る。東赤谷駅より1時間歩いてジープに乗せてもらうことができた。ダム工事の発破作業の場所を走り抜けて下される。真夏の陽が暑い。沢が幾つもある。その都度飲んで岩の上で休みながら歩く。運動不足でなまった足の筋肉がすでに痛み始める。飯豊ダムを過ぎるころ飯豊の稜線が遙かに霞んで見えた。北股沢へ急降下、そして急登。そこからが長かった。重い足を引きずってやっと湯の平温泉に着く。幕営準備に入る。夕食後露天風呂へ。夕立となり、ガスが押し寄せる中身体を伸ばして疲れを取ろうとしたが、稲光と同時の雷鳴で湯の表面が搖れる感じ。初めての体験だ。早々に退散する。

1971.08.11
湯の平温泉06:30-寅清水13:00(幕営)
下山する学生たちはすでに4時半ころ出発していったという。温泉宿の裏からいきなり急登。一気に300m上がる。下に大きく山襞を削って飯豊川が光る。連続した登り。10時半昼食。途端に歩が鈍る。寅清水でダウン。今日はここまで。明日歩こう。冷たい水がうまい。

1971.08.12
寅清水06:05-洗濯平09:40-十文字鞍部・梅花皮(かいらぎ)小屋10:15~12:10-いしころび雪渓13:20~15:00-地竹平17:00(幕営)
歩き始めてすぐに雨となる。キスゲの黄橙色が鮮やかで目を醒まさせてくれる。やがて深い笹の登山道となる。かき分けながらどこまでこれが続くかと思うほど。今日の予定が歩き通せるかと不安になる。ガスが周囲に立ちこめ、所々に見える高山植物の美しい色がかすむ。やがて雪渓が現れ、そこを上がれば思いがけず洗濯平に飛び出した。雨の中、テントが一つ。停滞中なのであろう、羨ましい。オーウインの峰を上がり、下ったところに、ガスの中にカイラギ小屋が現れた。しっかりした小屋だ。この雨では北股岳は諦めざるを得ない。ゆっくりと昼食の時間を取る。
 12:10ガスに包まれて下山開始。一瞬ガスが吹き払われて、眼下に雪渓の白さが美しく広がり、彼方に消えていくのが見えた。これからあれを下る。いざ着いてみると、ガスで周囲の見えぬ雪渓は不気味だった。登ってくる人に出会う。懷かしさに思わず声をかける。雪渓の取りつきの下で子熊を見たという。沢を渡ろうとして流れに出ている岩に飛び乗ったがつるッと滑って流れに落ちてしまい、慌てて這い上がったという。可愛かったというが、子熊がいるということは近くに母熊がいるということだ。注意しよう。カメラのシャッターを押してもらう。この山行唯一の写真となった。やがて雪渓が終わり、地竹平で幕営。雨の音を聞きつつ眠る。

1971.08.13
地竹平07:05-温身平08:00~20-飯豊山荘08:45~09:25-長者原口11:10~30=小国12:35~13:27=坂町14:21~30=新津15:40~17:08=高崎20:15~36=本庄21:01
白い雨の中撤収、いよいよ帰路へ。林の中を切り開いた素敵な道だ。雨も上がって、心急かぬ旅ならゆっくりと逍遥したいところ。飯豊山荘でのミルクとパンの朝食は美味かった。ここからの車道が長い。やけになって歩く。2時間後長者原に到着。バスの中で昨日の人に出会った。

[補遺ー冥界]
この山行について、もう一つ忘れがたい情景が残っている。 山からの帰り、上越線に乗ったのはもう午後の陽も傾くころで、越後湯沢に近づく辺り、ぼんやりと車窓から景色を追っていた私は、線路際の杉木立の下に在る墓地に灯るろうそくの火を見た。旧盆の迎え火或いは送り火なのだろうか。両側の山々の尾根の辺りはまだ光が残っていたが、墓石ごとにろうそくの灯るその一画は夕闇が濃く、その上だれもいない。ひとり燃え続けているろうそくのおびただしい数の火は、村はずれから村人たちを見守る死者の魂だったのだろうか。鄙びた土地の鄙びた風習が山行の終わりの何か物悲しい気持ちにぴったりだった。何年も経つがその火は私の中でまだ灯り続けている。

カテゴリー: 1971 飯豊連峰横断