1978.07.26-31 飯豊連峰縦走

この年、夏山合宿で飯豊連峰を南から北へ全山縦走した。残雪が豊富で、ハイマツ帯と笹原とお花畑が続く飯豊連峰は、私の大好きな山だ。4回訪れたが、全山縦走というのはその時だけだった。男子校の山岳部だったからできたことだったのだろうか。普通は北股岳を境とした南半分が登山者が訪れる山だ。また北股岳から東に下るイシコロビ雪渓も楽しいルートだ。

今回のコースはとてつもなく長い。五万分の一の地図3枚に渉る距離である。特に4日目の行程は直線距離で10kmある長さだ。私はスケッチブックに大きな山を2枚残している。上の絵は山に入った一日目、種蒔山からみた飯豊本山、御西岳・大日岳(2128m飯豊連峰最高峰)。下の絵は飯豊連峰中央の北俣岳山頂(2025m)から俯瞰した石ころび雪渓。ともに時間がなく色彩がないのが残念だ。
山行で今すぐに浮かぶのは、山中最終日の杁差(エブリサシ)岳の朝のこと。猛烈なアブの大群に襲われたのだ。全員タオルで顔を覆い、撤収もそこそこに天場から逃げ出した。大型動物の死骸でもあったのだろうか。大きなキスリングを背負った部員のそれぞれのニッカボッカに何匹ものアブが食いついていて、皆で麓まで運んだ景は忘れられない。
この日、麓の大石川の川原にテントを張り、冷たい流れの中に身体じゅう浸かって汗と汚れを洗い落としたときの清々しさもまた忘れられない思い出となっている。
実はこの日、もう一つ忘れがたい景に出くわした。夕暮が近づいてきたころ、河原の対岸の疎林に村の男女の若者がやってきて酒盛りのようなことを始めたのだ。見るともなく見ていると、若い女性が群れから出てきて、ちょっと離れたところでさりげなくしゃがんで、また戻っていく。少したつと別な女性が同じように・・。それはいかにも健康な情景だった。ああこの地方にはまだ万葉時代の歌垣(カガイ)が残っている。私は見ていてうれしくなるようであった。高校生は気付いていただろうか。

7/26 熊谷=大宮=喜多方=山都=藤巻別=御沢(幕営)
7/27 御沢―地蔵岳―三国岳―七つ森―種蒔―切合(幕営)
7/28 切合―草履塚―飯豊山2105―御西岳(大日岳ピストン)ー天狗庭ー御手洗池乗越(幕営)
7/29 御手洗池乗越―烏帽子岳―北股岳2025―扇地神―地神山―頼母木分岐―鉾立峰―杁差岳-1636肩(幕営)
7/30 杁差肩―カモス頭―大石川東俣川(幕営)
7/31 大石川幕営地=越後下関=坂町=新潟=高崎=熊谷

投稿者:ryujiiwata 投稿日時: