1980.07.23-29 夏山合宿 ガスのなかの 朝日連峰 

東北日本海側の山は、中央に鳥海山(2236m)があり、その南に朝日連峰、飯豊連峰と続いて最後に会津駒ケ岳、尾瀬燧ケ岳、越後三山につながっていく。そのうちの北半分、朝日連峰と飯豊連峰は、中央部の磐梯山、吾妻山塊と一緒に磐梯朝日国立公園に含まれている。このうち朝日連峰と飯豊連峰はそれぞれ縦走できる山として我々を引き付けている。
そして東北の民はこの連峰の南北に街道を通して物資を交流してきた。朝日連峰の北側に羽越西線、朝日連峰と飯豊連峰の間に米坂線、飯豊連峰の南側に磐越西線が東西に走り、またしっかりした道路が通っている。朝日連峰に北から入るには鶴岡、南からは小国(ここは飯豊連峰の北の登山口でもある)。そして飯豊連峰の南の登山口として山都など懐かしい名前がすぐに浮かぶ。なお、朝日連峰の北には羽黒山・月山・湯殿山の出羽三山があるが、やや特殊なのでふつうは縦走コースに入れない。
1978年に熊高山岳部は夏山合宿で南の御沢から入り北の杁差(えぶりさし)まで全山を縦走した。これについては他の項で取り上げた。
1980年の朝日連峰縦走ははじめてである。顧問も未経験の山行であり、かなりの緊張を強いられた。天候にかなり祟られて、稜線歩きのすばらしさを味わえなかったのが残念である。

1980.07.23-24
本庄21:46=高崎22:05/40=(急行鳥海)=鶴岡05:30/06:20=(庄内交通バス)=大鳥07:10/40=(マイクロバス)=泡滝ダム98:20/30ー冷水沢手前09:24/33ー七ッ滝沢10:22/40ー大鳥池幕営場12:05
鶴岡駅からのバスの中ですでに雨。終点大鳥で30名ほどの同行者より一足先にマイクロをチャーターし東大鳥川沿いに泡滝に向かう。泡滝ダムから重い雲の下を歩き始める。沢沿いに登っていくうちに激しく冷たい雨が白く降り始める。五万分の一の地図にはまだない道はコースタイムより30分以上早い。冷水沢手前で休憩。ポリタンの水で漱ぐ部員を叱り、水は共同装備であることを教える。七ッ滝沢から離れた地点から九十九折の急登が始まる。横切る沢の水が冷たく美味い。登り終わって標高1000mのブナ林の峠を越えて大鳥池に出る。にぎやかな天場だ。設営後大鳥池畔を訪れる。黒く可愛いイモリを見た。

1980.07.25
天場06:00ー三角峰雪田07:54/8:28ーオツボ峰09:02ー以東岳(昼食)10:07/11:03ー中先峰11:58ー狐穴幕営地12:58
06:00発。相変わらず雲の垂れこめる中、いきなり急登から始まる。ぐんぐん高度を上げる足元に大鳥池が見え隠れする。三角峰はガスの中で視界なし。オツボ峰に向かうなだらかなコルに初めての雪田が現れた。雪田の末端に湧き上がる水が何とも言えず美味い。道の前途を忘れてのんびりと休息する。ショウジョウバカマが可憐で、皆動きたくない表情を見せる。
再びガスの中を出発。今日のハイライトの以東岳へ。辿り着いた山頂は依然としてガスの中だ。寒い。昼食を取っていると一瞬薄陽が射し、太陽の暖かさに一同感嘆する。完全装備の女子高パーテイが反対側から登って来て、Tシャツ・ショートパンツ姿の我々に驚嘆の声を上げる。寒いが、凍死するレベルにはあらず。
11時ガスの中を出発する。なだらかに下り、なだらかな中先峰を越える。晴れれば絶好の景色がみられるであろうにと心残りのまま歩く。ガスの中を下って狐穴幕営地に到着。おもしろい名だ。マタギが名付けたか。キツネをしとめた場所なのか、一人ぼっちのマタギが狐と交歓した話でもあったか。民話集でもあれば見てみたい。
そこへ偶然熊谷商業高校パーテイが現れた。顧問の鈴木氏と親しく挨拶を交わす。朝日越えルートで入山とのこと。朝日岳に一番近くまで車が入るルートだ。
到着後ガスが晴れた。ひさしぶりだ。少し登って以東岳方面をスケッチする。

1980.07.26
天場06:15ー三方境06:33ー北寒江山06:50ー寒江山07:20/35ー竜門山08:42/09:02ー西朝日岳09:53ー中岳鞍部雪田10:08/10:50ー中岳11:25ー金玉水幕営地(テント設営-昼食)11:40/13:45ー小朝日岳15:00/30ー銀玉水16:15/35ー幕営地16:53
今日も曇り。ガスで時折しか見えぬ山の姿が大きい。全体が見渡せぬため、余計そう見えるのかもしれない。三方境、北寒江山、寒江山、竜門山、西朝日岳は展望の全くきかない中をただひたすら歩いて登りかつ下った。西朝日岳を下った鞍部で雪田に出くわし、このまま進んだら時間が余ってしまうと大休憩を取る。行動中こんなのんびりすることはなかった。雪をアルミ食器で掻いてカルピスをかけるといくらでも食べられる。じゅうぶん休んでなだらかな稜線を下って中岳へ登り返せば大朝日岳手前の金玉水幕営地だ。午前中にゆとりの到着だった。幕営が終わり、昼食もとるとあとは何もすることなく、小朝日岳を訪問することとする。サブザックでの往復は楽しい。途中一瞬陽がこぼれる。ガスの切れ目に小朝日の絶壁がそそり立って高い。よじ登って頂上に立ったが、ガスのため眺望は全く得られず。グレープフルーツを食べて下り、復路へ。途中銀玉水へ寄る。冷たい湧き水に思う存分喉を潤し、久しぶりの陽射しの中をだるくなって帰着した。

1980.07.27
朝から雨。今日は停滞と決める。午后高山植物を探索。

1980.07.28
幕営地04:25ー大朝日岳04:53ー祝瓶山分岐06:53ー荒川08:45/09:30ー角楢小屋下第2吊り橋(昼食)10:30/12:30ー針生小屋13:45/14:00ー五味沢バス停15:50/17:15-(国鉄バス)―小国18:00/31ー坂町19:17/23:41ー高崎6:03/⒔ー本庄6:40
今日も依然としてガスの中。本当についていない。大朝日への緩やかな登りをつめ、頂上で小休止する。此処からいよいよ下山ルートだ。二つのルートがあり、祝瓶山といういい山を経由するコースに心惹かれながら、ここまで何も見えない登山道を歩かされたということがトラウマとなり、諦めて、まっすぐ荒川を目指すルートを選ぶ。
4時間下りに下って08:45荒川の流れに到着した。地図によると此処からは緩やかな河原の道となる。気が緩んで45分も休憩した。しばらく行くと青空が見えだし、あっという間に一面の青空となった。左手の尾根に祝瓶の急峻な山容が現れた。あれを越すのは楽ではなかろう。第2吊り橋手前で10:30、ちょっと早いが昼食とする。バスの時刻が17時過ぎなのでのんびり休む。
ところがここから先、荒川の渓流を渡る橋が問題だった。丸木橋一本の上にワイヤーが一本張ってあるのみ。ワイヤーはまだ少し頼みになるが、時に針金だったりして命の危険を感じることしばし。バランスを崩してキスリングを背負ったまま上の針金にぶら下がったりした時は特に緊張して、切れないでくれと心に叫んだりした。
針生平も過ぎ、急降下地点で部員と路が分かれ、「このまま下まで行くぞ」と叫んで走り下りる。道が再び沢に出たところで汗びっしょりのカッターシャツを洗い、長い時間待って合流する。下界は晴れており、五味沢バス停までの道がここも長い。

東北の二大山塊のひとつ朝日連峰の縦走はこうして終わった。すべてガスの中だったという感じで、印象に残る風景はと思い返しても、わずかに小朝日岳のそそり立つ頂上ともうひとつ狐穴から眺めた以東岳が浮かぶ程度。こんな山はこれまで経験したことがない。もう一度来なければ山に申し訳ないと思いながら、全員無事に下山できたことへの安堵感に浸って、飯豊連峰縦走の終着駅でもあった小国駅にバスを降りたのであった。
ただ、終わってから考えた。梅雨明け十日という言葉が山行の適期といわれるが、これは北アルプス以南についていわれる言葉であろう。東北の山については、逆に前線が北上してまるきり真下にいることになってしまうのではないか。朝日連峰縦走はその梅雨の前線を選んで歩いたということにならないか。とすればこれは顧問の責任だということになる。懸命に、ひたすら弱音を吐かず歩き続けた部員に、ごめん悪かったと詫びたくなる顧問であった。

投稿者:ryujiiwata 投稿日時: