芭蕉は奥の細道の旅で、平泉から奥羽山地を越えて日本海側に出、山寺で「閑(しづか)さや岩にしみいる蝉の声」を読み、最上川を船で下り、羽黒山・月山・湯殿山をめぐっている。「雲の峯幾つ崩れて月の山」は私の好きな句だ。その後また川舟に乗って酒田の町に出た。酒田は後に北前船と呼ばれる船による西回り航路の要港であって、繁栄していた。芭蕉は酒田に九泊もし、その間象潟へも足を延ばしている。その象潟の干満寿寺に足を止めた時の文章に、
此の寺の方丈に坐して簾を捲(まけ)ば、風景、一眼の中に尽て、南に、鳥海天をささへ其の陰(かげ)うつりて江に有。
とある。「天をささへ」という表現、うまいなあと心に残っている。
その鳥海はその後東北の山を歩くようになって、どの山に登ってもすぐわかる山だと知った。天を支える山であれば行かなくてはならぬ。たまたま転勤して2年目で、夏山合宿は先輩二氏が担当してくれたので、家族で出かけることができた。
1982.08.07
本庄23:30=酒田08:29/08:53=鳥海山荘10:00/10ー横堂小屋(昼食)12:20/13:05ー東物見13:55/14:10ー西物見14:40ー滝の小屋(幕営)15:25
はじめてのブルートレインに中学1年と小学5年の息子は大はしゃぎ。よく眠って酒田着。駅前より鳥海山荘までバス。下車して初めはアスファルト道路。側溝に飛び込んだまま干上がった無数の雨蛙の子どもが哀れだ。草原に入り、山道に入り、今日はひたすら歩くだけ。樹林帯に汗をしぼられる中、途中の水場はうれしかった。好意を示してシャッターを押してくれる人あり、家族全員でカメラにおさまる。尾根に出たところが避難小屋だ。中学生くらいの娘さんを連れた男性と一緒になり昼食をとる。さらに登って灌木帯へ。15時半滝の小屋に到着。広くはないが気持ちよい天場だ。子どもたちは沢の水の冷たさにいつまでも戯れ、疲れを知らぬ様子。今日は七夕だが、明日を考え早く寝ることとする。
1982.08.08
起床04:00出発06:10ー河原宿ー大雪路09:45ー伏拝岳(昼食)11:05/12:00ー大物忌神社・新山ピストン12:50/13:45ー七五三掛(しめかけ)15:00/20ー御浜神社16:05/20ー賽の河原17:00(幕営)
瀧を右手に見つつ出発。ひと登りで広々とした河原宿に。ゆたかな湧水と戯れていたい小5の息子。なだめて先を目指す。八丁坂の長い登りが始まる。雪渓に入り、上部でトラバースしてガレ場で休憩。ここから急登にひと喘ぎすればいよいよ鳥海外輪山のひとつ伏拝岳に飛び出した。目の前に広がる大きな眺望が圧倒的に迫る。外輪山の絶壁の下に雪渓が光り、向こうに鳥海新山が荒涼とした姿で尖っている。これから行く景色を眺めながら昼食をとる。十分休んだ後絶壁をへつって降り、谷底からやや登ったところが大物忌神社、修験道らしい名前だ。ここに荷物を置き新山頂上まで空身往復する。頂上はガスに閉ざされて眺望はきかず残念ながら戻る。大きな岩の上を跳び、或はくぐって雪の上に出る。豪快な石組だった。
小さな落石の散乱する雪渓を30分ほど下り、外輪山を越えるとなだらかな七五三掛(しめかけ)のお花畑だ。ニッコウキスゲが清冽で美しい。草原を下って鳥の海という名の池に出た。鳥海山という名の起こりなのか、或は鳥海山にあることから名付けられたのか。青空と草の緑と澄んだ水の色と、なんとも美しい場所だ。池を横に見るお浜神社へ。ここでハプニング発生。賽の河原の天場の申込をしようとしたところ、幕営禁止とのこと。あわててガイドブックに幕営地となっていてそれを前提に歩いてきたと抗議すると、ガイドブックがが誤っているという。子どもづれの家族が途方に暮れている姿を見たからであろう。その地図を見てきた以上禁止するわけにいかぬ、いいですよと言ってくれる。柔軟な姿勢がありがたかった。彼方下方にやや霞む目的地鉾立は距離を感じさせたが、きょうはここで自分たちだけと思うと別天地のようでうれしい。雪田からの流れは冷たく、草原は乾いており、人影はなく静まり返って、動きたくない場所だ。
1982.08.09
起床04:30出発07:15ー白糸滝07:55/08:10ー鉾立08:30/10:05=象潟10:50/(海水浴場)14:46=本庄20:45
朝、雪田にガスが湧き、天幕がぽつんと緑の草原にあり周りをブッシュが囲んでいる情景は何とも言えなかった。こういう所にせめて半日でものんびりいられたらいいのだが、帰りの列車も指定席であれば遅れるわけにいかぬ。曇り日の中を出発。もう今日は下山。さいごの天場の印象が深く、鳥海山への愛着は深い。いい山だった。大きさからすればもう一泊したほうが良かったろうか。快適に下ってあっという間に鉾立へ。大きな駐車場の隅にバス停があった。象潟の海岸で水浴。