高校の地理でカールという地形を学んだ。初めて室堂に立った時、目の前の山崎カールを見て感動したことを思い出す。山崎というのはこの地形を調べた人の名で、弟子が師の名をつけたという。
同じ固有名詞の着いた薬師岳の金作谷カールは山案内人の名だ。頂上から一望のもとに見渡せる広々としたカールを見ながら歩いたが、ガスが湧いてきて、高知大ワンゲルのように尾根を見失うまいと、そちらに神経を集中してしまってゆっくり味わうゆとりがなくなってしまった。
それに比べると翌日の黒部五郎カールはその素晴らしさを満喫した。黒々と聳える圏谷上部を見上げながら大量に湧いて出る雪解け水を心行くまで飲んだ爽快感が忘れられない。何万年か前にここに氷河があり、一年に何センチかずつ下りながら両岸と底部を削り取っていった、今そこに腰を下ろしている、そんな感覚に酔い痴れていた。私に強烈な思いを残したのがこの黒部五郎カールだった。我々グループの他に誰もいなかったというのも、幸福な思い出を作ってくれたのだろう。
ほかに気になるのが鹿島槍北峰の谷カクネ里だ。ここが氷河だということが2018年に認められた。末端からグレイシャーミルヒと呼ばれる白濁した水が流れ出ているという。手にすくってみたいがもう無理だろう。見果てぬ夢がひとつ増えた。
穂高の涸沢もスケールが大きい。ただいつも人が多くて、じっくり山と向き合って対話するという雰囲気ではない。圏谷の上部へたどるザイテングラードはカール全体が見渡せるので好きな場所だ。
カールというのはともにある情緒も持って私に迫る。そこにいだかれたいという思いを与える地形だ。下は広々と広がって、そこがカルデラとの違いだろうか。
そんなカールに愛着を持つ私が、中央アルプスの千畳敷カールをまだ訪れていない。手遅れにならないうちにと、妻を誘って出かけた。
これまで中央アルプスを合宿の候補にしてこなかったのは、一週間という一般的な合宿の日程を考えると少し小さいということからだった。今回個人山行として木曽駒ケ岳を目指した。
1999.08.29
本庄6:15 = (上信越道・長野道・中央高速)=駒ヶ根8:25~40=(バス)=ロープウエイ駅9:10~40=千畳敷駅9:55ー前岳稜線乗越浄土(昼食)12:00~13:00-宝剣岳山頂13:30~40-中岳ー木曽駒ケ岳幕営地15:30
ロープウエイの列は長そうに見えたが、夏も終わりの季節を選んだので30分待ちで乗ることができた。千畳敷カールは素晴らしい眺めだ。お花畑もずいぶん残っている。カールの先端は八丁坂と呼ばれる急傾斜になる。前岳稜線までゆっくりと歩を進めた。乗越浄土という宗教的名前に着く。ロープウエイ駅からの宝剣岳はすさまじい岩山だが、ここからだとほんのひと登り。戻って木曽駒の稜線に。このあたりからガスが湧き始める。
中岳を越え、木曽駒の幕営場(2870m)はガスの中での設営となる。離れた場所にテントがひと張りあるだけで静かな夜が過ごせそうだ、と思っているといきなり雨が降り出した。ようやく上がって外へでて見ると、星空が美しい。
ここで思いがけない情景に出会った。夜空の下、向かいの山並みが見下ろせたのだが、その稜線と思われるあたりに、稲妻が何度も走り、その都度そのあたりが明るくなるのだ。積乱雲は1万メートルまで上昇すると読んだことがあるが、稲妻を俯瞰するというのは初めてだ。そういえば会津駒ケ岳にキリンテから登る途中で雷雨に会い、稲妻が目の前を横に走ったことがあった。初めは身を伏せたが、次第に度胸がついて身をかがめながら歩いた。今目の前のあの山では里人が身をすくめているのだろうか。大きな花火を見ているようで、妻と二人しばらく見とれていた。雷鳴は聞こえなかった。
1999.08.30
天場7:00‐木曽駒ケ岳(2956m)7:40~08:00ー(馬の背)ー駒飼池9:30~10:00ー沢(昼食)ー前岳稜線12:00~30ー千畳敷駅レストラン14:00~40
木曽駒の空は晴れたが、周囲の山はガスで見えず残念。ただすぐに晴れて、周囲の山々が見事に姿を現した。写真はまだ登っていない御嶽山だ。そのまま下山というのも残念なので、ちょっと寄り道して駒飼池を訪れる。笹に覆われた斜面に小さな池が青空を映していた。人の姿はない。静かな山旅であった。