2000.07.20-24 宮之浦岳

キャンセル待ちの航空券がうまく手に入った。但し3泊4日の予定が4泊5日になっていた。のんびり行動できるというわけで1日追加する。Kとの山行予定に直前になってNが加わった。出発前日は幼稚園の終業式で、その後恒例の職員会食。夜は群響合唱団の練習と、忙しかった。前夜の睡眠は4時間。

2000.07.20
本庄5:00=羽田7:00~08:30=鹿児島9:45~10:45=屋久島空港11:25~13:40=(タクシー)=紀元杉14:15~25=淀河入り口14:30ー淀河小屋15:10(幕営)
羽田空港でハプニング。ガスカートリッジは機内持ち込み禁止、廃棄してもらうか預かり処分とするとのこと。炊事ができないじゃないかと抗議したが聞き入れてもらえない。現地で購入できるかどうか当てのないまま預ける。kいわく、「沖縄サミットの余波なるべし」と。
鹿児島から屋久島はYS11機、歴史的飛行機だ。空港からのタクシーの運転手は話し好き、1000年以下の杉は小杉と言って屋久杉と言わないとのこと。紀元杉は見事だった。傍らの湧水がうまかった。脇にユズリハ。
淀河小屋までは下り・上りが半分ずつ小屋はまだ新しさを感じさせるログハウスで快適だ。テラスで寝るというkとNを残して棚の上に場所を占めたが、次第に混んでくる気配に小屋前に天幕を張る。夕食後18時に眠るも19時前に隣に到着したパーテイの大声に目が覚める。1時間我慢した後、「少し声を抑えてもらえるとありがたい。」と言えば、素直に恐縮する。小屋は沢の水も清澄で豐か。素晴らしい場所だ。

2000.07.21
淀河小屋5:15ー小花之江河7:00~20ー花之江河7:30~35ー黒味岳分岐8:00ー投石平8:30~45ー翁岳鞍部水場10:05~10ー栗生岳10:35~50ー宮之浦岳11:15~30ー平石水場12:00~13:00-新高塚小屋15:20(幕営)
4時起床。コッヘルをガスカートリッジに乗せてその間にテント撤収。5:15出発は大出来。第1の目的地小花乃江河は美しい庭園。彼方に黒味岳の頂上に四つに割れ目の入った大岩が眼を引く。朝日に輝く緑が鮮やかだ。コブを越え10分で花之江河、先ほどの小花乃江河の方が勝る。此処からブッシュのトンネルに入りひたすら登る。黒味岳分岐にデポされたザックが数個あり。我々もと提案したが素氣ない二人。きれいな水場があり喉を潤して一枚岩を登ると投石湿原。黒味岳を見上げながら休憩する。快晴の空の下、花崗岩の黒味岳はあちこちに大岩を散在させていて見飽きない。此処から投石岳へ直登。道が違ったかと思う頃ようやくトラバースルートに出る。狭い登山道で休憩。出発して10分で恰好の休み場所、最後の水場との表示で心ゆくまで飲む。此処から頂上までは笹原の中を急登する。栗生岳頂上の大岩で再び休憩。ようやく宮之浦岳が美しい姿を見せる。樹林帯を抜けると、笹原の上に岩を点在させている景が目に入る。女性的な山だ。後ろに付く5・6人の女性パーテイと同じペースでゆっくりと登る。
11時15分ついに岩山の頂上に着く。長い間憧れていた頂上に今立った。目の前に魁偉な永田岳が眼を引く。ただ余りの好天に九州の山々は霞んで見えず。ここは永田岳と対話をする場所のようだ。少しガスも上がってくる。頂上は30人ほどで混雑しており、静かな場所で休もうと、目の下に見える広場を目指して下りる。写真は下りはじめて振り返って眺めた頂上だ。

15分ほどで着くと思った目的地は深い笹の道で捗らず、20分もかかって焼野三差路ヘ。此処も昼食をとるパーテイでにぎやかで、さらに10分下ると水場があった。但し水量はわずかで、岩の上をなめるように流れる程度だ。此処で昼食。ところが気がつくとNのフランスパンがない。ザックのポケットに差し込んだだけだったので心配はしたのだが、案の定ブッシュを潛る辺りで落としたのだろう。食料を失うなんて決定的なミスだ。二人の分を分ける。生ハム・コーヒーが何とも言えず美味い。永田岳を目の前にした景はすばらしい。青い空。緑の笹原。
登りでは昨年の鳳凰と違って快調だったKが下りとなるこの辺りからペースダウン。平石の岩屋を越え、坊主岩を左に見て下り続けるうちNも音を上げて坐りこむ。K曰く「Nが先にタオルを投げた」。段差の大きい下りは膝に過酷だったのだろう。此処を逆に登って淀河小屋についた昨日の老夫婦はどんなに辛かったかと思われる。12時間かかったと言っていた。同行の若夫婦に助けられてようやく着いたのだろう。Nの話では、テントには老夫婦が寢て、若夫婦は外で寝ていたとのこと。今生の思い出にということだったのだろうか。
新高塚小屋は昨日の淀河小屋以上の混雑でほぼ満員。但し天場はわれわれが最初だ。ヤクシカがすぐ横に現れる。目が合ったが逃げようとしない。

Nは靴箱の前の簀の子を確保した。夕食後眠りにつくが、ここでもしかも傍らに8時過ぎまで大声で喋るパーテイがあってまた注意する。眠れぬまま外に出れば満天の星空。さそり座、白鳥座が大きい

2000.07.22
新高塚小屋天場6:15ー高塚小屋7:10~25ー縄文杉ー夫婦杉ーウイルソン株ー翁杉ー大株歩道入り口ー三代杉12:00~40ー小杉谷ー荒川大橋15:10~16:10=(タクシー)=⁼宮之浦民宿17:00(泊)
今日はのんびり歩けるだろうと、昨日より1時間遅れて出発。初めはゆるい登り。高塚山を越えて急な下りとなったあたりでKのペースが落ちる。白谷小屋へ行くには300mの峠を越えねばならず、Kは自信を失う。このまま荒川に下ろうかと言えば救われた顔つきとなる。白谷への未練は殘るが止むを得まい。登らなくて済むとなったKは浮き浮きとした足取りとなる。
高塚小屋からまた段差の大きな下りとなりようやく縄文杉に着く。縄文杉だ。根元を踏まないようにと展望テラスが作られている。7200年という信じがたい時間が杉と我々の間を流れている。屋久杉は是に代表される。がっしりしたこぶを付けた豪快な幹。ナナカマドをはじめ何種類もの樹木が根附いて枝を伸ばす中間部とその上に節くれだった枝を広げる上部。その枝の先にはさらに緑の葉が繁っている。なんという生命力。立ち去りがたい思いを懐きながら先を目指す。此処からは道が整備されていて観光客向けの区域という感じだ。木道と木の階段が延々と続き、登ってくる人の数が急に増える。観光目的らしくみな軽装だ。若者が多い。
ウイルソン株の中に湧水あり。ザックを下ろすと汗は止まる。休憩してオレンジを1/3ずつ口にする。生き返る思い。そしてようやく大株歩道に出る。トロッコの軌道の上を歩く。廃線となったトロッコ軌道は哀愁を感じさせる。歩きに歩いてようやく水場があり昼食をとることとする。気がつけば三代杉の根元だった。天に向かって伸びているその髙さが快い。明日に予定したラーメンをここで食べる。明日はもう下界だ。
小杉谷の小・中学校跡も淋しさを誘う風景だ。30歳ほどの男たち3人が校庭に走り込んでいった。ここで学んだ人たちなのだろうか。その先手すりもないトロッコの鉄橋は長さが100mもあろうか。荒川大橋だ。風が吹いたら危険だ、どうするのだろうと思いながら渡る。右岸をまた延々と歩いて、トンネを拔け再び鉄橋を渡る。そこに引き込み線があり100m先の終点が駐車場となっていた。予定ではここから尾立峠まで1時間半歩かねばならないところ、タクシーが来てくれるとのことで、文句なく今日の行動はここまで。
40分待ってタクシー到着。運転手の話では、昨日山から下りた人の話で12:30に宮之浦岳から高千穂が見えたとのこと。昨日は空気が済んでいたのだろう。
タクシーの中から民宿の予約をしてもらう。安房は空きがなく、宮之浦ならあるという。タクシーで直行する。

2000.07.23
民宿8:30=(レンタカー)=白谷雲水峡(弥生杉)9:10~11:30=志戸子ガジュマル園=大川の瀧=千尋の瀧=尾之間温泉国民宿舎屋久島温泉16:00(泊)
レンタカー(コルサ)で出発。昨日未練を残した白谷雲水峡へ。雨の中が美しかろうと想像する。靴を脱いで入った沢の水は冷たかった。下りで弥生杉に向かう途中、Kが異常な発汗。心房細動という。我々はおろおろするしかない。幸い自力調整して治まった。大川(オオコ)の瀧、千尋の瀧見事だ。
車を返した後、夕より驟雨。

2000.07.24
ホテル8:30=屋久杉自然館=屋久島空港11:10~14:40=鹿児島空港15:10~50=羽田空港17:30~18:00~本庄21:30
朝から雨。屋久杉自然館で小杉谷の歴史のビデオ等観る。11:20空港に着く。激しい雷鳴と雨。我々の直前の便は欠航となった。直後に雨がやみ、我々のフライトは予定通り。飛び立った飛行機から振り返ると島全体が厚い雲に覆われていた。

投稿者:ryujiiwata 投稿日時: