2001.08.28 鳥甲山

熊谷高校の山岳部の先輩顧問がいつか秋山郷には鳥甲といういい山があるんですよと語ってくれたことがある。同じ言い方でかつて雨飾山を教えてもらって、感銘深い山行をしたことがある。今回もまたと期待が芽生え、次第に大きくなっていった。
秋山郷といえば、すぐに鈴木牧之の『北越雪譜』が浮かぶ。雪深い中津川で、淵に出ていた松の枝に籠の付いた縄を結んで水の上に下りて魚をとっていた猟師がいて、その妻が夫の身を案じて少しでも明るくと松明を綱の近くの雪に刺してやった。家に戻った妻はいくら待っても夫は帰ってこない。夫が下りたところへ行ってみると松明が綱を焼き切っていた。妻は半狂乱となって・・という、厳しい世界に生きる人たちの凄絶な姿が印象に残る。今でこそ志賀高原からの道が拓かれて抜けられるようになったが、かつては中津川最上流のどんづまりの集落で、落人部落の呼び名もあったという。なお五万分の一の地図では秋山郷から上流は魚野川となっている。土地の人がそう呼んでいるのだろうか。かの有名な魚野川とはべつである。水源は天空の人造湖野反湖だ。
先輩から話を聞いて20年も経った頃、最後の勤務校となった本庄北高校のPTAOB・OGの山仲間を語らって鳥甲山行がようやく実現した。
前日、塩沢ICから津南町に出、中津川を遡って秋山郷に入った。和山を拔け、最奥の切明で左岸に渡り、登山口まで車で入る。広い駐車場だが我々以外誰もいない。満天の星空をわれわれだけで占有した。
駐車場5:30ー09:00~10ー鳥甲山頂10:45~12:15ー白嵓頭14:10~30ー登山口16:25~45=雄山閣(入浴)16:50~18:00=塩沢(夕食)19:05~50=本庄21:30

黒々と立ちはだかる鳥甲に向かって出発する。急な登りは階段状の岩場になる。両手を使って階段を登ると、狹い足場ごとに30cmたらずの黑い蛇がながながと身体を延ばして朝日をあびて動かずにいる。階段のテラスごとに蛇がいるのだが、体が温まらないのだろう、動かないので無視して乗り越える。白嵓頭の先は、垂直に近い岩壁を登ったり、底の見えないほどの絶壁の縁をへつったり、すごい山だ。
往路5時間10分、ようやく頂上(2037m)に着くと気が緩んで1時間30分ものんびりしてしまった。私はもちろんビール・コーヒー付きである。
下りも慎重に歩を進めたため、登山口(980m)まで4時間10分かかっている。切明のひなびた温泉へという望みはかなわず、雄山閣という立派な名前の旅館で汗を流した。

投稿者:ryujiiwata 投稿日時:

1997.11.02 御座山(おぐらやま)

いつの頃からか、一度登ってみたいという願いを懷いてきた。「『佐久の幽巒』といわれ、古くから静寂な山旅を愛する人たちに登られてきたという。長野県南佐久郡にあるが、ふつうは西上州の最高峰とされている。」と『群馬の山歩き130選』にある。西上州の最高峰となれば行かないわけにいかない。頂上の80mの大岩壁というのも見て見たい。
今回も熊女高OG山行会のメンバーで第5回の山行である。

本庄07:00=佐久IC08:40=白岩登山口10:00-図根点10:50~11:00-こぶ12:00~15-コル12:30-頂上(2112m 昼食)13:00~14:00-休憩14:50-登山口15:40
登山口の空気は冷たく、空は青く澄んで絶好の登山日和。草の茎が縦に裂けてそこから何重にも氷の層ができている。触ると簡単に崩れる。霜か茎の中の水分が凍ったものか。霜とすればほかの木の枝にも霧氷となるのではないか。茎の中の水分が凍ったとすると枯れた草の茎が水を吸い上げるのだろうか。もしかするとひびわれた茎の毛細管現象か。分からないが美しい。
落葉樹の樹林帯を進む。落ち葉を踏む感触が樂しい。いろいろな形のドングリや小さなマツボックリをさがしながらゆっくりと歩く。光の中で風に揺れるススキがあまりにきれいで、同行の(かつての)女の子の一人は夢中になってカメラのシャッターを押している。昔なら「歩くリズムを乱すな」と怒鳴ったかもしれないが、今は誰も何も言わない。好きなところで立ち止まって山を楽しんでいる。みんなにこにこと喋りながら歩いている。
 12時30分2020mのコルに着く。此処から最後の急な登りとなるということで、立ち止まって心の準備をする。周囲は石楠花がいっぱい。初夏に来たらきれいだろう。30分で頂上に到着。さすが西上州最高峰だ。目の下に天狗山と男山という登山欲を唆るような名前の山が優美に横たわっている(写真)。左から奥秩父(写真。金峰の五丈岩がよーく見るとぽつんと写っている)、八ヶ岳、浅間山と360度の山を見わたせる眺望の良さ。ただ暖かくかすんで南アルプスは判明しないのが残念。断崖絶壁の岩場でちょっと怖かったとは女の子らしい感想が下山後に。座った岩がほんわか温かく、いい気持ちだったとも。
ここで昼食をとる。ラーメンとコーヒーとビール(私だけ)が何とも美味い。そのうち元気おばさんが3人現れる。私が山の話をしたところ心を許したのか、女の子たちにミカンをプレゼントしてくれた。

避難小屋の中をのぞいた後出発。おなじく彼女たちの手記に「下りの歩き方を先生に教わりながら歩いた。なかなかうまくはいかないけどちょっとは速くあるけるようになったかな?」とある。 1時間40分で登山口到着。朝のきれいな霜(?)はすべて消えていた。
帰路はブドウ峠経由のルートを取る。20年前に訪れた浜平温泉でひなびた風情を楽しもうと期待したのだが7月いっぱいで廃業したとのこと、残念だった。万場、鬼石を経て本庄着。

投稿者:ryujiiwata 投稿日時:

1997.06.22 エゾハルゼミの 袈裟丸山

本庄から北を見ると赤城山の東の裾野に続いて袈裟丸の裾野が東に登っている。頂上がユニークな形をしている。切り立ったピークが二つ並んでいる。双耳峰と言いたいが、二つの間に額の部分がない。鉈を叩きこんだような形だ。左が後袈裟丸(1903m)、右が前袈裟丸(1878m)で普通前が袈裟丸と呼ばれているらしい。名前から言って信仰登山の山なのだろう。県界尾根にある山で、今日は群馬側から登る。
熊女高登山部OGの第4回山行。4名のOGとともに車1台で。1名は2年上級生で、その上級生に憧れていた一人も一緒になって、なんだか不思議なグループとなった。

本庄07:15=登山口09:50~10:00-小ピーク(三等三角点)10:50-石祠(昼食)11:40~12:50-見晴らし岩13:35~45-後袈裟丸山(1903m)14:130-三等三角点16:00~15-登山口17:05

登りはじめから急登の道。両側は樹林帯で、行政の境なのか、火防帯なのか、切り開いた尾根をまっすぐに登る。張り切ってキックステップのように登り始める子(大きな子だ)がいて注意する。両側はエゾハルゼミの大合唱だ。こんな近くで、人が近づいても鳴き止まない。初めての経験だ。30分で登り切って一息入れる。ここから八重樺原とよばれる散策路のような尾根道。右手の笹原と沢の向こうに前袈裟丸・後袈裟丸が。山毛欅、白樺、水楢が笹原の上に美しい。やがてサラサドウダンの朱色がコメツガの緑に映えてのんびりと歩く。石楠花の蕾と花が現れると頂上だ。周囲はガスに包まれて関東平野が見えるはずが残念。熊谷・本庄を見たかったのに。
ここから先前袈裟丸への道が思いがけないことに。キレットの八反張(はったんばり)が通行禁止となっている。止むを得ず今日はここまで。ゴゼンタチバナに別れを告げて来た道をもどる。驚いたのは、来るときあれほど鳴きしきっていたエゾハルゼミがまったく沈黙していることだ。午後は鳴かないのか。あるいはガスのせいか。キツツキの甲高い音を聞きつつ下る。17時登山口到着。なつかしい仲間との今回の山行が終わる。
スケッチは本庄から見た北の山、赤城の隣が袈裟丸。

投稿者:ryujiiwata 投稿日時:

1997.08.17-18 浅間山・追分宿ルート

1997.08.17
本庄07:00=軽井沢IC=追分登山口08:15~45-血の池-石尊山稜線11:20~13:00-一杯水手前13:30(ビバーク)
今日はもう何十回と辿ったルートだ。このルートを知ったきっかけは、ある山の先輩の手記だった。ある秋の日、単独でアサマの頂上を目指した彼が、秋の風が吹く中追分が原を横切っていた時、風が強くなってきたと思ったら、急にザックのポケットにつるしていたハーモニカが鳴りだしたという。彼はその音を友として淋しい秋の山道を歩いたのだ。
これを読んだとき私は感動してしまった。ここには山に包まれて山と一体となっている一人の男の姿がある。私がまねをしたら、きざな男と言われてしまいかねないので実行していない。ただそのイメージは男のロマンとして私の心に焼き付いて褪せない。

もう一つ記しておきたいこと。それがこの写真だ。この一冊が私の生涯にわたる山行の記録であるとすれば、やはり妻の写真を入れておきたい。私の個人山行のうち単独行以外はほとんど妻と一緒だった。北は利尻岳から南は高千穂山まで、厳しさは劔岳から表妙義の縦走コースまで、それぞれの思い出の中に妻がいる。長い間よく付き合ってくれた。その感謝の意をこめてここに残す。ルートはこの浅間山・追分ルートで、季節が違う。10月の終わりで石尊山稜線から天狗の露地に出たらくるぶしほどの積雪だった。そこにテントを張って、翌日はアイゼンの用意もなかったので、湯の平を逍遥して戻った。
写真は、その下山路で一杯水からカヤトの原をかき分けて石尊山に出る手前の所だ。全く人に逢わない二日間だった。

1997.08.18
天場07:45-一杯水08.15/25-火山館09:00-湯の平森林限界10:10ー浅間山頂11:10~12:10-森林限界12:40ー天狗の露地-一杯水14:10-天場デポ地点14:30~15:00-石尊山稜線分岐15:45-追分登山口17:20
今日も一日誰にも会わない山歩きを楽しんだ。釜山山頂手前には進入禁止の看板が立てられていて、この先は自己責任ということになる。以前、火口壁に設置されたカメラが噴煙を映し出しているのを見たことがあるが、カメラはまだあるのだろうか。弥陀が城の谷には頂上から続くケーブルが露出しているのだが。噴煙がいっぱいの火口は近づきたくない風景だ。早々に戻る。
天狗の露地から見上げると、前掛山の突端に人影が2,3人小さく見えた。向こうからもこちらが見えたろうか。石尊山への稜線にところどころコケモモが光っている。熊が私のために残しておいてくれたか。大き目のカウベルを鳴らしながら下る。低く響く音だ。
血の池まで下ると左から源泉からの水と合流する。吹き出す源泉は透明だがすぐに濁り始める。猛烈に渋い味だ。とても飲める水ではない。一杯水も水脈が切れてしまった。熊やカモシカはどこで飲み水を得ているのだろう。火山館の前庭に引かれている水はうまい水だ。黒斑から湧く水なのだろうか。或はこの広い浅間山のどこかに動物だけが知る水場があるのかもしれない。人間が知らないだけなのかも。クヌギやミズナラの林を抜けながらそんなことを考えていた。

投稿者:ryujiiwata 投稿日時:

1997.08.07-10 八幡平

1997.08.07
本庄06:02=大宮07:06~20=(やまびこ35)=盛岡10:17~45=八幡平頂上駅12:00-見返峠・八幡沼・頂上-頂上駅14:30~15:30―藤七温泉彩雲荘16:00(泊)

1997.08.08
彩雲荘07:50-登山口08:05-畚岳08:45~50-諸檜岳10:00~10-無名峰(昼食)11:20~12:10-嶮岨森12:45-大深避難小屋13:35(-水場14:00~10-避難小屋14:20)(泊)
八幡平写真、後は岩手山。

1997.08.09
避難小屋12:30-大深岳13:15-小畚山14:15-三っ石山16:00ー三っ石山荘(泊)
雨。
1997.08.10
山荘06:05-松川温泉8:00~9:45=盛岡駅11:50~12:30=啄木記念館・歌碑公園15:37=盛岡駅16:45=(やまびこ144)=大宮19:42~54=本庄20:43

投稿者:ryujiiwata 投稿日時: